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Shigelog

41歳でドラムを始めた勘違いオヤジの日記です。気が向けばアフィリエイト向けの記事も書きます。

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41歳でドラムドラムを始めた勘違いオヤジの日記です。気が向けばアフィリエイト記事も書きます

20代~30代の自分を振り返る.....

20代のころ....

自分にもそんな時期があったのです。

今日は、私の若いころを振り返りたいと思います。

お暇な方は最後までお付き合いくださいね!!。

 

 

工業高校卒業後、18歳から20歳までは情報処理系の専門学校に通いながら仙台の寿司屋さんで出前のバイトをしてました。専門学校卒業時、バブルが崩壊します。IT系の職は無いに等しい状態と世の中が急激に変化しました。就職先も決まらず、結局職人見習いとして卒業後から24歳までの間勤務してました。バイト時代とは一変、見習いになった途端にそれまで優しかった親方の人格は一変し、それからは地獄の日々。朝から深夜まで口を聞いてもらいない事もありましたし、今で言うパワハラを4年間も受け続けました。最終的に職人としての資質を問われ、結局和食の世界を後にする事になったのです。

また、寿司屋と同時期に大手ファストフード店でもアルバイトとして勤務しておりました。そこでの仕事はとても楽しいものでしたが、朝が弱い私は度々遅刻を連発。当時お世話になっていたマネージャーには、ホントご迷惑ばかり掛けてました。因みに、今でもSNS等でお付き合いがあります。

 

当時は自分の出来の悪さに悩みましたね......。

社会人として、色々な面で失格でした。

 

寿司屋の退職後、24歳から28歳までは人材派遣会社に登録して仕事を貰いながらの生活。

派遣会社なので、日々仕事が変わります。

寿司屋退職時の所持金は財布に¥1,000-のみ。

 

よくあれで生活出来てたなぁ~と今でも自分で関心してしまいます。

 

人材派遣での仕事は楽なものではありませんでした。倉庫でのピッキング作業だったり、引っ越しの作業員だったり、建築現場への資材の搬入だったりと、最初のうちは力仕事が多かったのです。

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人材派遣は、言ってみれば日雇い労働者のようなもの。自分はどんどん落ちぶれていくのかな...と不安になった事もありましたが、生活の為とにかく毎日がむしゃらに働きました。

その日の給料はその日のうちに出たので、なんとかそこから生計を立て直す日々が始まります。

 

その仕事を始めた頃はガリガリだったのですが、力仕事ばかりやっていたので次第に体が出来上がり、自分の体重より重いもの、例えば当時のテレビはブラウン管が主流で32型のテレビともなると60kgはありましたが、平気で担ぎあげてました。

今考えると、ゾッとします。今は無理ですからね.......。

 

ようやく認められた.....

人事派遣作業も体的にはキツかったのですが、友達もどんどん増えて私的にはとても楽しかったのです。2年ほど現場を転々としながら仕事をする日々。

 

そんな折、とある現場の責任者の方から評価され、ご指名を頂くようになりました。

これは人材を経営資源とする派遣会社にとっても、とても名誉なこと。

 

ようやく社会から認められるようになったのかな....。

 

しかし、所詮派遣会社です。お得意様の会社の状況に応じてすぐに要望が変わります。売上が悪くなったり、新しい自社採用のアルバイトなどが見つかると、その先に待っているのは派遣切りです。

 

そして、また新たな職場へと指示が出ます。

 

せっかく評価してもらったのに、また一からやり直しです。

 

そんな仕事で28歳までの4年間を社会的な保障もないままフリーターとして過ごしてました。

 

もうすぐ30歳。

そろそろしっかりしないとな....。

 

学生時代から28歳までの10年間、仙台で過ごしたましたが、そんな住み慣れた仙台を後に地元の岩手へと戻る決意をします。

 

サラリーマン時代

大手ファミレス業界の地方のフランチャイズ事業を手掛ける地元中小企業へ入ったのは、今からちょうど13年前、私が28歳の時でした。

 

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当時は接客がしたいとの事で、ホールの接客業務を希望しました。

30歳までの2年間はホールの責任者として多くのアルバイトを採用して育て、朝から深夜までがむしゃらに働いてました。

 

勤務態度も真面目で(自分で言うな!!)徐々に会社に認められて来ますが、日々のハードワークでなかなか朝起きられなくなり、またまた病気のような遅刻を連発するようになります。

もともと朝はめっぽう弱いほうでした。

 

しかし、深夜に働いてくれている唯一のアルバイトが店内で問題を起こしてしまい、即刻解雇処分を言い渡す事に.....。

 来月から副店長に昇格という辞令を頂いていた大事なとき、なんと!なんと!!大事な会議の日に寝坊してしまい、社長は大激怒です。

 

「そんな自己管理も出来上に奴が部下の管理など出来るか!!」

 

訓告処分を言い渡されました。

 

その深夜のアルバイトがやめた影響で、私は朝の10:00から深夜の2:00まで、一日14時間労働で仕事してました。

深夜に料理が作れる従業員は居らず、自分しか頼れる存在は居ません。

しかも、人が居ないので1ヶ月間朝から深夜までのハードワーク。

家に帰ると朝の3:00。そのまま疲れて寝て、8:00には起きなければオープンのスタンバイに間に合いません。睡眠時間は4時間ぐらいでした。

 

という訳で、昇格はおろか当時主任だった職務も降ろされ、2年間の苦労も台無しにしてしまい、平社員に舞い戻ります。

 

体も限界でした。 

心身共に疲れ果て私はそこで会社を辞めるつもりでした。

 

社長にも当時私の力になってくれていたお局パートさんたちにも、「辞めます」と宣言したのですが、パートさんたちからの慰留攻めにあい、結局社長に続投を申し出ました。

 

大阪に本社のある外食企業でしたが、当時本部のSVが私の有り余る失態が目に余ったのか、「直営社員として大阪に来い!」との話もありました。

これはヘッドハンティングの逆バージョンです。

 

「大阪の商人魂で腐った根性を鍛え直してやる!!」

 

いや、腐ってはいないのです。朝は弱いですけど。休みなしのハードワークですから....。

 

そのSVに人間として惚れ込んでいたので 、ホントに悩みました。

ただ、このタイミングで大阪に移動してしまうと、母一人を岩手に残していくことになります。

結局、その誘いは断り、「地元企業で絶対に結果を出します!!」とSVに宣言して、会社に留まりました。

 

その時、今まで自分が育ててきた部下が皮肉にも店長に任命され、私の職位を通り越して上司となり、立場が逆転しました。

それからというもの、その部下の態度は一変し、年上で元上司である私にも風当たりが冷たくなりましたね。

パート・アルバイト間では暗黙の派閥が出来上がり、私側につくか、新任の店長に付くかで店の中はゴタゴタになりました。

「トップが揉めれば職場はこんなにも荒れるのだ」と自らのこれまでの行いを冷静に振り返りもしました。

 

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やがて、その年下の上司は新店のオープン店長として任命されて栄転、事実上私がその店のトップになりましたが、当時私は調理長。店長の辞令は貰えませんでした。

これも、自らの身を滅ぼし、一度会社からの信用を100%失った人間でしたので仕方のない事です。

 

それから数年後、店舗の数字を改善するために様々なマネージメントに取り組みました。人件費、諸経費、水光熱費の見直し。時には経費を抑えるために社長に「この契約は今するべきではないのでは!!」と自分の立場をものともせず、強気でモノ申した事もありました。店舗のモラルを向上させるために、店舗の為にはならないと判断した特にモラル意識の低いアルバイトは辞めさた時もありました。

 

ところが、外食業界は既に低迷期に入っており、店の売上は下がる一方。

会社は長期間の赤字経営に陥ります。

 

最終的に会社存続の危機にまで直面しました。

 

そんな折、

「会社を(店を)なんとかして欲しい....」

 

店長に任命されました。

 

社長も苦肉の策だったのでしょう。

 

でもその時の自分は、部下からも信頼されるまでに成長していたと思います。

勿論、私を嫌っていた部下も沢山いたでしょう.....。

 

店長になってからは、減収傾向にあった店の売上を回復することより、少ない売上で過去の実績よりも利益を確保する手法を優先し、業務にあたりました。

 

「減収増益」 を実現しました。

 

これにはマネジメント能力が伴われます。

一人で習得したのではなく、本部SVから色々な事を教わりました。

 

新たな改革案をどんどん会社に提出して、部下にも協力するように頭も何度も下げました。

 

気がつくと、会社は過去数年間に例を見ない、大きな利益を上げていました。

 

その頃から、会社の来期の方針や経営理念の変更までをも任される立場にまでなり、2011年3月1日付けで、会社創業以来初の事業部次長に任命されました。 

 

その11日後、あの未曾有の災害....東日本大震災が街を襲いました。

 

 

続きはまた今度という事で。

 

長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

文字数:3610文字でした。